2017年1月13日放送のNHK「団塊スタイル」は橋田壽賀子さんの「悔いなく老いらく」です。
2016年の12月に女性週刊誌に江原啓之さんは橋田壽賀子さんに対してある記事を書きました。

それは橋田壽賀子さんがこれからの生き方や人生を終える活動についてのキツイ一言でした。
橋田壽賀子は創価学会ではないか?ととりざたされていますが、本当はどうなんでしょうか?

スポンサーリンク

橋田壽賀子の安楽死に江原さんが苦言を記事にした

女性セブンに江原さんが緊急提言をしたのには理由があったのでした。
江原さんの思いは、これだけの偉大な脚本家の橋田壽賀子さんが安楽死を希望すると発言している事について、戦争を生き抜いて色々な人生を描いて来た橋田壽賀子先生が安楽死をしたいなんて言ってはいけないという内容で記事を書いていたのでした。

橋田壽賀子は創価学会?

以前、NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」がありましたが、この「あまちゃん」が第22回の橋田賞を受賞しました。

橋田壽賀子さんが良いテレビ番組に贈る賞なのですがその受賞式の時になんとヒロインの能年玲奈に「創価学会のあさのお勤めで見てない」と言ったとか・・・
そこからこの日のトレンドキーワードに「能年玲奈 創価学会」と急上昇したのでした。
本当は「橋田壽賀子 創価学会」だったのでした。

橋田壽賀子のプロフィール

1925年ソウル生まれ
日本では教育をうけさせたいという思いで小学校3年生の時に日本(大阪)に母親と二人で帰って来ました。

お父さんはその時はソウルに残ったので何ヶ月かに1度大阪へやってきます。
日本女子大学国文学科卒業
卒業と同時に結婚の準備を母親が進めます。
結婚したくないばかりに東京大学を受験しましたが失敗
同時に受験していて合格した早稲田大学へ通う事になりました。

東大を受験するパワーも凄いですし、私学の大学を出たばかりなのに、また私学の大学へ入学できる経済力にも驚きますね。

 

早稲田へ通っていても色恋の浮いた話しが一切なかったという。
恋愛に時間を費やしていられない。

 

松竹に初の女性脚本家として24倍に合格して就職しました。
もちろん大学は2年で中退しました。
入社して10年脚本から秘書室へ移動を命じられたのを機に松竹を退社しました。

 

この時皇太子のご成婚でテレビブームとなり橋田壽賀子さんはこれからはテレビの時代だと思ったのでした。
夫婦百景というドラマで脚本が採用されました。

スポンサーリンク

石井ふく子プロデューサーとの出会い

なんでも好きなものを書いてくださいと言われて
ホームドラマ「袋を渡せば」の脚本を書いたのでした。

女しか分からない世界で勝負ができないかな?と思って書いたのでした。

このころ、岩崎嘉一さんと出会いました。
交際期間3ヶ月で橋田壽賀子さんの誕生日に結婚しました。

結婚したことを知らせる手紙がとてもほんわかします。

やっとほんとに好きなひとと
めぐりあえたので
一生懸命頼んだ挙句
結婚する事になりました。

ご主人は60歳で亡くなってしまいましたが、二人で購入した静岡県熱海市にある家には一人で住んでいます。

月刊誌の文藝春秋2016年12月号で「私は安楽死で逝きたい」」というエッセイを寄稿した事により江原さんには苦言を言われてしまいまっしたが、橋田壽賀子さんの決心は固いようです。

終活のきっかけは?

90歳になって脚本の依頼が来なくなりなした。
それでもう文字も書かない事にしたんです。

終活を始める事にして色々決めた事があるという。

お葬式はしないでください。
義理で来ていただいても嫌なので来ないでください。

主人が入っているお墓に入るつもりをしていたんですがお兄さんから電話がかかってきて
壽賀子さんは入れないと言われました。

ホットしたという。

自分の墓も用意したので主人の時計を入れてもらう事になっています。
主人と一緒に時を刻んだ時計です。
橋田壽賀子さんの終活は着々と進んでいます。

スポンサーリンク