恵比寿講とは、恵比寿様(えびすさま)は商業の神様としても信仰が厚いので恵比寿様を祭ろうと始まった行事でした。
恵比寿講は兵庫県西宮市の西宮神社とのかかわりが深く、御祭神である恵比寿神は商売繁盛の神として広く信仰されていますが古くは、右手に釣り竿、左わきに鯛を抱えている姿からもわかるように漁業の祖神、海上の守護神として漁民に信仰されていました。
恵比寿様とは?
その神無月に出雲へ赴かない留守神とされたのが、七福神のお一人の恵比寿神で、その恵比寿神をまつって人々が集まり一年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁あるいは商売繁盛を願う民間行事が恵比寿講といわれるもので、各地でこの時期の秋祭りの一つとして親しまれています。
留守神のほかには金毘羅神(こんぴらしん)、道祖神(どうそじん)、荒新(荒神)も留守神様と言われてます。
神無月とは
旧暦では10月、現在11月は神無月といわれ、その由縁は、全国の神様が出雲の国に集まって翌年の収穫量や縁結び等を話し合う会議をしており各地には神様がいなくなる時だからといわれます。
島根県の出雲に集った神様たちはここでは1ヶ月の間話し合いがもたれる事になっています。
神有月とは
島根県の出雲にある出雲大社ではこの月の事を「神在月」(かみありづき)と言っています。
はるばると竜蛇神に先導されて駆けつけてくる神々を迎えます。
神迎祭(かみむかえさい)が行われるのです。
ところで神様たちは出雲に集まって何を話し合っているのでしょうか?
出雲大社の会議では10月の話し合いを大国主神(おおくにぬしのかみ)とその子孫の神々の間で行います。
その話し合いは主に人間の運命について決める話し合いがされていると伝わっています。
その中身は誰と誰を結婚させるかを決めているのだそうです、それで出雲大社は縁結びの神様と呼ばれています。
やがて各地に広まっていくにしたがい、近世には商売繁盛、家内安全の神として定着し、神無月に恵比寿神だけは残るとの言い伝えから商家で信仰されるようになりました。
西宮神社はまた、蛭子を祀ってあり、蛭子三年足立たずで、おあしがでないので縁起がよいともいわれます。
恵比寿講は秋と春の二回行われることもあり、特に1月10日を十日えびすと呼んでいます。
恵比寿講はいつ頃あるの?
旧暦の10月と1月に行われる事が多く、市が立ち、福笹、小判、米俵等の縁起物を買う人々でにぎわいます。
東京の旧大伝馬町一帯にかけて並ぶ、日本橋恵比寿講べったら市は、江戸時代中頃に、恵比寿講の前日にお供えするための市が立ち、魚や野菜、神棚等が売られるようになったのが起源で、浅漬け大根のべったら漬けがよく売れたことからそう呼ばれるようになったといいます。
恵比寿神は、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人とともに七福神として知られています。
大黒天は財宝や食べ物の神、毘沙門天は招福の神で勝負の神様として受験生にも人気です。
寿老人は健康と長寿延命、福録寿は福徳、長寿、弁財天は知恵や縁結び、布袋尊は良縁・夫婦円満・子宝の神として親しまれています。
七福神は神社だけでなくお寺に祀られることも多く、日光山輪王寺の護摩堂には五大明王像の両側に七福神の全ての神が祀られていてこの形は珍しいものといいます。
神送りの儀式
秋の収穫の時期が終わって農作業が落ち着いた頃に、田の神様を山へと送るための「神送り」の儀式が始まります。
東日本を中心に行われている十日夜(とうかんや)とよばれているお祭りで、子供たちが稲で地面を叩きながら神様を山へと送る「神送り」の儀式です。
恵比寿講のまとめ
商業の神様としても信仰が厚い恵比寿さまを祭ろうと始まった行事です。
人を集めて酒宴をしたり、品物を高値で売買するオークションのようなものが景気付けする催しが行われていたのでした。
「恵比寿講の売り買い」とも呼ばれていまもなお続いているのですね。
ふくよかな顔でいかにも福を呼びそうな神様。
商売繁盛になりますように!