2017年1月8日第95回全国高校サッカー選手権大会の決勝がおこなわれました。
群馬前橋育英高校・青森の青森山田学園のどちらがかっても初優勝という快挙です!
特に青森県はまだ日本では秋田県より北に優勝旗が渡った事が無いという。

青森山田学園のサッカー部に黒田監督の息子さんがいた事を一体どれだけの人が知っていただろうか?
しかも裏方に徹していた事を・・・。
黒田監督の嫁と息子と娘の応援があったからこそ今回の優勝が勝ち取れたのでしょう。

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青森山田は歴史を刻む事ができるのか?

裏方に回ってじっと見守る黒田剛監督の息子黒田凱(くろだがい)君がいます。
22年間監督を務める黒田剛監督になんとかして初優勝をさせたい、選手として参加していた事もありますが、故障で今は裏方の回っているのです。

黒田剛監督の息子黒田凱(くろだがい)君

1月から3月は厚い雪にグランドは覆われるという青森が全国の頂点に立てるのか?
初優勝まであと少し!
小さいころからお父さんを優勝監督にしたいという思いは誰にも負けないくらい強かった黒田凱君。

なんと今回出場した青森山田学園の中に黒田監督の息子さんがいたのです。

お父さんの指導を受けてサッカー選手として主力になるべく練習を積んできたのでした。
ところが2016年8月1日の試合を最後にピッチを離れたのでした。

黒田剛監督の息子黒田凱君が試合に出ない理由は?

それはケガをしてしまった為なんです。
左膝の皿を骨折していたのでした。
悲劇は更に重なります。
なんと左膝の腱までも断絶してしまいます。

おかげで1ヶ月休んで手術をする事2回繰り返します。
あっと言う間に夏も過ぎ10月が訪れます。
復帰までは約半年はかかりそうと告げられるのでした。
医者の診断は残酷です。

監督であるお父さんを優勝させたい!
そんな想いは通じるのだろうか?
気持ちがあっても身体が動かないジレンマが黒田凱君を襲います
何かしたい!

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選手でなくてもチームは支えられる

マネージャーが一生懸命に奮闘している姿を見て選手でなくても自分もサポートができると確信した黒田凱君
それは全て父である黒田剛監督を初優に導くためだったのです。
小さな頃から父親のチームで活躍する夢を持っていた黒田凱君です。
そんな姿を見てお母さんは号泣したといいます。

 

これまでの18年かんの苦労を思うと選手として報われない息子を思いやったのでしょうね。
一瞬の不注意で取り返しのつかないケガをしたことにたいしても複雑な想いを抱くのでしょうね。

黒田凱君の進路は?

青森山田学園を卒業語には大阪体育大学へ進学が決まっているという黒田凱君。
なんと父親の出身大学でもあります。

一足先に進路を決めた黒田凱君。
次は父親である黒田剛監督が初優勝を決める番。

悲願の初優勝を決めた青森山田学園

今まではこの大会の優勝旗は最北は昭和33年と41年に優勝した秋田商業だったという。
とうとう青森が優勝を決め50年振りに最北の記録を更新することになりました。

95回めで初めて本州最北の土地に優勝旗が踏み入れます。
今日は親子で悲願の初優勝を満喫してください。
親子のドラマをしっかりと見守りました。

優勝して黒田監督が息子にかけた言葉は?

20回も連続出場をしていたのに一度も優勝経験野なかった青森山田学園
お父さんを優勝させてあげたいと裏方で必死に支えて来た息子
とうとう日本一になってメダルを手にしました。

でも息子である黒田凱君には嬉しくても涙は何故かこみあげて来なかったという。
ところが父親の黒田監督と抱き合い一言「今までありがとう!選手としてピッチに立てなくてごめんな」と呟いたこの言葉に黒田凱君は涙がとめどなく流れるのでした。

今まで裏方に徹してきた頑張りが青森初の優勝、黒田監督悲願の優勝へと導かれたのでした。
本当におめでとうございます。

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