7月16日「音楽の日」に熱唱した曲の1つ「始まりの街」でデビューした尾崎豊の息子、尾崎裕哉さん。
2010年10月ANAのCMを見た時、心が震えました。
尾崎豊の残していった、あの子(尾崎裕哉)がこんなにも立派に歌えるように成長したんだって。
上手すぎる、似せようとしなくても似てしまう。
CMのキャッチコピーも切ない、あれから6年
8月23日「二世」とういう本を出版し9月5日「始まりの街」でデビューする。
尾崎裕哉の歌声に感動してyoutube(動画)を何回見た事だろう・・・
父の歌をうたう息子尾崎裕哉さんと歌を比較してみました。
目次
ANAのCM動画
この歌を愛した父へ
21歳になりました。
見ていて下さい
お父さん・・・
夢を追う全ての人に
尾崎裕哉と名前が書かれています
尾崎裕哉(おざきゆうや)のプロフィール
1989年7月24日生まれ
東京都荒川区出身
身長:170cm
血液型:O型
出身高校:アメリカンスクール・インジャパン卒業
慶應義塾大学環境情報学部卒業
尾崎裕哉の音楽の日の動画
「音楽の日」で初めて尾崎裕哉さんを知った方も多い事でしょう。
尾崎豊がまるで乗り移っているかのような歌声にどれだけの人が感動したか・・・
それは反響の凄さが物語っているのではないでしょうか?
尾崎豊の息子さんだけど・・お父さんの記憶が無いという尾崎裕哉さん。
尾崎豊のマネをしているわけでないのに自然と似てしまっているという不思議。
親子としての絆がなせる現象なのでしょうか。
尾崎裕哉NHKBS放送を視聴して
なぜ、尾崎裕哉さんはデビューまでにこんなに時間がかかったんだろう・・・
そんな疑問が次々と頭をもたげてくる。
その答えはこのデビュー直前に放送されたNHKBS放送を見て理解しました。
【このあと10:50】※再掲#尾崎豊 さんの一人息子 #尾崎裕哉 さんの密着ドキュメント。
あえて歌手の道を選んだ裕哉さん。
番組では、話題の歌声も聞けるとか。今後がとっても楽しみ☆#尾崎裕哉 pic.twitter.com/SFdU4lWcdN
— SHISHIROSSI (@rossi_46fumi) 2016年9月4日
親父を超えることなんて出来ないし、超えようとする必要もない。
そもそも比べること自体無意味なことだと思う。
ただ、この声を聞くとどうしても被ってしまう部分が今はある、て位やっぱり似てる。
尾崎裕哉「二世」の感想は?
この「二世」を読むといかに尾崎裕哉さんが父尾崎豊に縛られていたのかが読み取れます。
2歳で父を亡くした尾崎裕哉さんはお父さんの記憶が無い。
父尾崎豊を知る手段が残された歌だったという。
あまりにも偉大過ぎる父がゆえに苦悩する心境が切々と綴られています。
とうとう父尾崎豊の年齢を超えるまでに成長した尾崎裕哉が下した決断と辿り着いた所とは・・・
尾崎豊とは?
1965年11月29日生まれ
血液型:B型
青山学院高等部中退・・・高校卒業目前に自主退学へ。
高校の卒業式の当日新宿ルイードで、デビューを飾り初のライブを行いました。
ファーストシングルは「十五歳の夜」
ファーストアルバムは「十七歳の地図」
3枚目のシングル「卒業」の中の過激すぎる歌詞が話題になりました。
10代の教祖、若者のカリスマ的存在になりました。
1985年11月28日、10代最後の誕生日目前に3枚めのアルバム「壊れた扉から」を発表しました。
その後無期限活動停止を発表したのでした。
1988年裕哉さんの母親尾崎繁美さんと結婚しました。
9月12日「東京ドーム」で一夜限りの復活ライブ「LIVE CORE」を行いその時、5万6000人を動員しました。
1989年7月24日息子尾崎裕哉が生まれる。
1990年11月15ん地位5枚めのアルバム「誕生」を発表しました。
1991年3月頃、雑誌の対談をきっかけに女優・斉藤由貴と不倫が発覚するのでした。
10月には別離した事が週刊誌などで報道されましたが、本当に不倫関係だったのかは謎につつまれていました。
10月30日代々木オリンピックプールでライブを行いました。
このコンサートは生涯最後のライブになってしまいました。
最後に歌ったうたは・・・「ダンスホール」でした。
1992年4月25日早朝に泥酔状態で東京都の民家の庭で発見され病院へ搬送されるが真夜中に息を引き取る。
当時の報道では肺水腫と報道されていました。
尾崎豊さんの死因については当時様々な憶測が飛び交いました。
6枚目のオリジナル・アルバム「放熱への証」が遺作となる。
71曲残して行きました。
10代の時、尾崎自身のカリスマ性やイメージを保つ為、画像は全てモノクロで掲載されたと伝説化しています。
尾崎豊の友人の1人に吉川晃司(キッカワコウジ)、坂上忍がいます。
尾崎裕哉の母の現在は?
尾崎裕哉さんを語る時は母親の尾崎繁美さんをなくして語れないでしょう。
尾崎豊さんが亡くなり当時の週刊誌では遺産相続の問題などが取りざたされていました。
色んな喧騒から逃れるかのように尾崎裕哉さんが5歳の時にアメリカのボストンへ渡ります。
それから10年日本から離れて過ごしました。
尾崎繁美さんも「新愛なる遥いあなたへ 尾崎豊と分け合った日々」という本出版していました。
再婚の噂も無く、尾崎豊さんが残した愛息、尾崎裕哉さんを育て上げたのでした。
表立って出ることは無いでしょうが、尾崎裕哉さんは家族(母親)と過ごした家庭を本当に大切にしているのがデビュー曲からも垣間見る事ができます。
尾崎裕哉と尾崎豊の比較まとめ
親子なのでどうしても声は似ているというかそのままです。
まるで尾崎豊が歌っているかのよう。
ただ尾崎裕哉さんには尾崎豊さんの記憶が無いのにあれだけ歌い方も似てしまうのは、これは血は争えないという事でしょうか。
声も歌い方も似ていますが、作る曲風は全然違うと思いました。
社会に疑問を投げかけていた尾崎豊。
たとえ父親がいなくても幸せに育った、幸せな時を過ごしたと感じている尾崎裕哉さん。
東日本大震災へボランティアにもでていたという経歴もあるだけにみんなの幸せを願うナイーブな素直で優しい心がそのまま曲や歌い方に滲んでいますね。
尾崎豊と同じで無くて良いんです、 尾崎裕哉の個性を出して下さい。
7月「音楽の日」に尾崎豊のカバーを聞く軽いノリで来たファンが尾崎豊の歌ではなく、尾崎裕哉の曲に感動した事に尾崎裕哉がこだわっていた自分探しの答えが見つかったのかもしれませんね。